スケベンターティナーとうこの淫乱帳

某風俗エステ嬢のえろえろ(//˙³˙//){ぽっ

【舞台】ラストパイ【菅原小春さん神】

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魂の形を見た、といったら笑うでしょうか。


体の奥にある何か。
踊ること、体を刻みなく動かすことで
かえって、それを強く感じさせるというか。


黒田育世さんという
素晴らしいダンサーさんがおられます。


この度、
かつて上演され
伝説となっていた「ラストパイ」というダンス作品の再演がおこなわれました。


明日までやっており、
当日券ギリギリある模様。
本当に、本当に、すさまじかった。

 

 


暗転からにわかに、
一定のリズムである音が聞こえ始めます。


そして、誰かが舞台上に板付になる気配がし、
そのひとが暗闇の中踊っている。


気迫というか、もはや殺気でしょうか。
なにもみえない、息遣いだけのダンスを感じ取った瞬間、
もうよくわからんのですが泣いておりました…笑笑


日常生活ではつゆと味合わずにすんでいる、怯えの感覚だと思います。


ゆるくサスが入ると、
目の前で菅原小春さんというダンサーさんが
すでに一心不乱に踊り始めていました。


すごい。すごすぎました。
語彙力とか失いますね。


これまで、黒田さんの振り付けを
黒田さんと同じ音階で踊れふダンサーさんは、
あまりいないのではないか、と感じてきました。


それほど黒田さんがすごい、と口説く重ねても重ねて、主張したりないところではあります。


菅原さんのすごさを語る前に、
先ほど「振り付けの音階」と書いた箇所について
私なりのダンス解釈を少し述べても良いでしょうか。


触れてきた数は、決して多くないものの、
これまで優れたダンサーの方に共通して感じてきた事があります。


それは、
彼らはとても語彙力に飛んでいる
感覚に言葉をあてがう能力に長けている、
ということです。


日常で感じた、これこれこういう感情や情景を込めた、と例えば語るとき
恐ろしいほど詩的で、そしてそれはとてもえもいえぬ魅惑の表現として私には受け取れるのです。


そんな風にものを感じられること
そのようにことを捉えられること
そしてそれを言葉で語ることができていること、
もはやその段階で凄まじいと。


が、
面白いことに
一様にその言葉の色めきに
全く納得していらっしゃらないようにも
見えるのですね。


「わかりますかね…すみません表現が下手で」
とたいがいおっしゃる。


いやいやむしろその時点ですごいけど?!!
とおののくこと後光で目が潰れる五秒前。


でも、きっと、えらく、違うんでしょうね。
より繊細で複雑でそれでいて荘厳で…


だから、踊らざるをえない。
言い得られないから、踊ってしまう。


黒田さんを見ていて、
なんて、話すより話すように踊るんだろう
といつも感じてしまうのです。


だから、
黒田育世の振り付けは踊れない。
真似て奏でられるものではないのだろうなぁ
と、


それこそ彼女の作風に見る
孤独と群衆の対比のように
人間はいかに孤独で儚く
祈るように生きているんだろう
繋がりますように
届きますように


そんな想いがあったのですが。


菅原小春さんも、
まるで食べるように
息をするように
笑うように怒るように
まさしく生きていることが踊っていることである、
そう思わされる姿でした。
すさまじかった。

 

 


息を呑み続けたまま
最高のラストを見届けられました。


終演し、
訳を捉える能力がぶっ壊れ、
よくわからぬまま号泣。

 

 


なんでしょうね。


見えないものとして神さま、
と名付けたものを思うことが
祈りだとされるけれど


もうなんとしても会えないひと
生きているけれど会えないひと


そして
目の前にいるのに
絶対にまざらないという絶望。


でも
それは無意味なのか。
それでも祈ることをやめられないのが、
ひとではないか。

 


すばらしかったです。
本当にありがとうございました。